Honganji

Introduction イントロダクション

3万人が総立ちした最狂の舞台!!早くも待望の再演決定!!!

2016年1月の初演では、大阪・名古屋・東京3都市を廻り、約3万人の観客を動員。連日スタンディングオベーションの大盛況の中、幕を下ろした。

そのHonganjiがこの夏、舞台を明治座に変え、新キャストとともに、更なる進化を遂げる。

日本の歴史上最強のダークヒーロー、織田信長。その信長の前に立ちはだかる仏門のカリスマ・顕如。金でしか動かない戦国最強の鉄砲傭兵軍団・雑賀衆とその頭領・雑賀孫一。戦国の世に蘇り、信長を憑き動かす怨霊・平将門。

4人の登場人物を軸に、最先端の映像技術と壮麗な舞台衣裳、豪華役者陣の熱演による圧倒的な臨場感で繰り広げられる歴史ファンタジー。

平将門の祟りとは

天慶2年(939年)11月──戦国時代より約500年以上も前の事。
関東・武蔵国で挙兵した後、国府軍を打ち破り自らを「新皇」と名乗った将門は、時の天皇に謀反を起こし、天慶3年2月に天皇軍の放った矢を額に受けて討ち死にした。その骸(むくろ)は都の天皇の元に送られて斬首となり、胴体は京の都、首は関東に埋葬された。その後、中世の時代を迎えると都をめぐり、天変地異が頻繁に起こり各地で天下取りの合戦が多発した。世にいう「戦国時代」の幕開けである──。

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織田信長とは

天文3年(1534年)尾張勝幡城で生まれ、那古屋城(現在の名古屋市)で育った信長は、父・信秀の死により18歳の若さで家督を継ぎ、尾張国内の反対勢力を一掃。親族である清州城の織田信友をはじめ、松葉・深山両城の織田家を滅ぼし、弟・信行を清州城内に呼びつけて謀殺。尾張一国を支配下に治める。この過程で屈強な鉄砲部隊と長槍部隊を編成し、「織田軍団」とも呼ぶべき信長の手足となって動く強力な家臣団を組織する。

永禄3年(1560年)には「東海の雄」と謳われた駿河、遠江、三河の大守・今川義元の大軍2万5,000人をわずか2,000人の兵で桶狭間(おけはざま)にて襲撃し義元の首を討ち取る。

こうして信長の天下統一に向けた戦が始まった。

天下布武(天下統一/全国制覇)を掲げる信長は魔物にでも憑りつかれたかのように自らを「神」と名乗り、キリスト教を信仰し、仏教を否定し、仏閣をことごとく灰塵(かいじん)に帰しながら各地で殺戮を繰り返し、その勢力を拡大してゆく。

永禄11年(1568年)信長は自分が庇護する足利義昭と共に都へ上洛すると、室町幕府の第15代将軍に義昭を擁立する。
信長は新たな政治の中心として大坂の地に目をつけ、その地において巨大な仏法王国「石山本願寺」を構える浄土真宗第11世・顕如を全国で起きている民衆決起(一向一揆)の根源とみなし、元亀元年(1570年)9月・石山本願寺の殲滅(せんめつ)を織田家臣に命令した。

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石山本願寺とは

現在の大阪城の場所にあった親鸞上人が啓(ひら)いた浄土真宗の本山。
明応5年(1496年)浄土真宗第8世・蓮如が建立したのに始まり、天文元年(1532年)京都山科の山科本願寺が焼かれて後、第10世・証如がここを本願寺とした。

のちに江戸八百屋町、大阪八百八橋と呼ばれる大坂の地は、当時日本一の土地と称されていた。その理由は河川が運河のように入り組み、四方が自然の要害となり、奈良、京都、堺に近く、三重の鳥羽、京の淀(伏見)から大坂の各町口まで舟の交通が直結。北は鴨川、白川、桂川、淀川、宇治川という大河が幾筋にも流れ、近隣には中津川、吹田川、神崎川が流れる。さらに大小の河川が網の目のように流れている。西は、広々とした海で、日本の各地は無論、唐国や高麗、南蛮の交易船が出入りする。全国の産物が集まり売買され、経済力豊かな港町であった。そこに近隣諸国より一向宗の門徒が集まり、八町四方に敷地を整備。中央の高台には門徒が「水上の御堂(みどう)」と呼ぶ本堂を高々と建立した。四方には池を掘り、蓮を植え、舟を浮かべた。仏前には光明を明々(あかあか)と灯し、領内には阿弥陀仏の経を唱える僧侶や門徒の声が力強く満ちていた。この霊地を慕って民家が軒を接して建ち並び、裕福な家の炊煙(すいえん)が絶え間無く立ち上がるようになった。こうして広大な町が拡がってゆく。
真宗一筋に帰依する門徒たちが遠国からも川や海を越えて参拝に来るので、昼夜を問わず道に人影の絶えることはなかった。

石山本願寺は寺というよりは都市であり、さながら法王国であり、外敵から王国を護る目的で2万人近い野武士や流れ者、荒くれ者、雑賀衆のような傭兵を雇い込んでいた。戦国の世にあって真宗門徒の暮らしを外敵の侵略から護る為である。

──その都市を天魔・信長に魅入られた。

この地は四面河川に囲まれた小高い要害の地であった為に、信長はこの地を海外進出の拠点としようとしたのである。元亀元年(1570年)9月12日本願寺第11世・顕如は決断する。200万人の門徒を率いる戦国時代最大の宗教的武将勢力である石山本願寺と、天下布武を目指す織田信長との軍事的・政治的決戦である。

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紀州国の北西部に勢力を持つ戦国最強の鉄砲集団。水軍をも要し、紀伊水道から南は東シナ海の明国まで遠征し、海外交易も行う乱世の傭兵軍団であり、各地の戦国大名に金で雇われて「戦(いくさ)」で生計を立てていた。

雑賀衆は、いち早く南蛮渡来の火縄銃を取り入れ、独自の鉄精錬の技術を持ち、戦国一の鉄砲傭兵集団として、その名を馳せることができた。当時、「雑賀を制すものは全国を制す」 とさえ言われるようになったほどである。傭兵集団として引く手数多であった「雑賀衆」は、近畿地方の大名 「三好家」と「織田家」が戦う際に、織田家に雇われ、 織田信長の軍勢と共に戦った事もあった。その信長は浄土真宗・総本山である「石山本願寺」の殲滅(せんめつ)を宣言し、ついには「織田軍」と「本願寺軍」が元亀元年(1570年)全面戦争に突入する。
雑賀衆には「浄土真宗」の門徒(信者)が多く、本願寺の本拠地である大坂(石山)にも近かったため、本願寺とは友好的な関係にあった。
そのため雑賀衆は本願寺および織田信長の両サイドから要請を受けた。
雑賀衆のリーダー・雑賀孫一は、苦悩しながらも元亀元年(1570年)9月ついに決起する。

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